華々つぼみ作品にみるキャラクター認識性
僕は美術部系四コマ作品を盲目的に買ってしまうという癖があって、ちょっと前に目をつけたのが「放課後アトリエといろ」(以下アトリエ)って作品
放課後アトリエといろ(1)<放課後アトリエといろ> (カドカワデジタルコミックス)
- 作者: 華々つぼみ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/09/01
- メディア: Kindle版
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同著者の「コドクの中のワタシ」(以下コドク)って作品はきららで読んでてるんだけど、コドクのキャラを全然認識してないことに気づいたので何となく書く
- 作者: 華々つぼみ
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2013/05/27
- メディア: コミック
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なんでコドクの方はキャラを把握できないかを考えると、基本的に主人公と他のキャラが一対一の関係しか持ってなくて、前回の記憶なんてとうになくてお前誰だよってキャラが多数いるきららの中で、キャラの関係性を覚えておくのはとてもつらい。前に出てきた単語を覚えながらやるしりとりみたい
対してアトリエの方はキャラが学年ごとに分かれてて、一年生三人あとは二・三年二人づつでその二人が仲いいって感じで書かれてる。故に自然とグループとして相互的に結びつき連想的に覚えられる。英単語ひとつ覚えるより三つぐらい集めて文章作ったほうが覚えやすいのと同じだ
コドクは吸血鬼とシスター以外のペアがなく思い出す起点となるものが無い。起点となるものは多い方がいい。ハーレム作品に、幼なじみ・妹・委員長・男の娘みたいなお決まり配置はありきたりだけど、キャラの認識性で考えると思い出すのは容易になる。ある程度のフレームワークにそって作られてる感じ。この作品でのあれはあの子みたいな
例えば、コドクの二次創作作ると考えると、その大部分は主人公を含むものになるだろう。逆にアトリエだと学年ごとのカップリングが多くてその他もちらほらといった感じだと思う(個人的には部長と二年生を期待)
カップリングの多様性ってのはキャラクター認識性のための起点の豊富さだと考える
ってことでアトリエの復活はないですかね